シャム手術

シャム手術


最近、コロンビア大学とコロラド大学の共同研究チームによってパーキンソン病患者に対してシャム手術が行われ、社会的な議論が起きている。シャム手術は、術後の回復または悪化がまちがいなく治療による結果であり、心理的なものではないことを確認する目的で、比較のために行われる治療をともなわない見せ掛けの手術である。

パーキンソン病は、脳の中で神経伝達物質のドーパミンを分泌する細胞が死滅するために、ドーパミンが不足して他の神経伝達物質とのバランスがくずれ、身体の振るえ、硬直、意図しない激しい運動などが発生する病気である。不足するドーパミンを補うためのLドーパという薬が開発されてはいるものの、薬だけでは病気の進行そのものをくいとめることはむずかしいため、最近では細胞の移植などが検討されている。

2001年3月8日付けのニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディスン誌に掲載された共同研究チームの論文によると、重傷のパーキンソン病患者に対して、中絶された胎児からドーパミン分泌細胞を移植する臨床試験(人体への実験)が行われた。臨床試験では、20人に対して頭蓋に穴を開けて実際に細胞移植の治療が行われ、別な20人に対しては比較のために、頭蓋に穴は開けたものの細胞移植は行わないで縫合するシャム手術が行われた [1] 。手術そのものは1999年以前に行われ、論文を発表しつつ術後の経過観察をして、今年3月に術後二年目に入った段階での状況が再び発表された。

この研究に対して社会からは、シャム手術は患者にとって利益がないうえに傷つけるものであり、特に今回のように危険度の高い侵襲をともなうシャム手術は許されないのではないか、という声があがった。

しかし、科学的な根拠にもとづいた医療を行おうとすると、臨床試験の段階で比較にもとづいた検討が必用になる。

科学的方法論では、調べたい事柄について、実験系と対照系を設けて比較をする。二つの系では、すべての条件を同じにしたうえで、調べたい事柄についてだけ条件を変えて設定し、結果に差が現われるかどうかを見る。結果に有意な差が見られると、それは設定した条件の違いによるものと考える。

実験の対象が動物や特に人間である場合には、心理的な効果を考慮しないと、結果を正しく把握できないことが多い。たとえば、薬の効果を調べようとする場合、人間では、薬を飲んだ人と飲まなかった人を比べるだけでは不十分である。なぜなら、人間の場合、「薬を飲んだから大丈夫」という思い込みだけで、回復したような気分になる、あるいは本当に回復する可能性があるからである。この心理的な現象は、「プラセボ(偽薬)効果」と呼ばれる。

症状の回復が本当に薬の効果なのか、それともプラセボ効果にすぎないのかを知るためには、心理的な条件を統一した状況で、実際に薬を飲んだ人と、そうでない人の結果を比較しなければならない。その場合、半数の被験者には本物の薬を、半数には薬効もないが害もない見せ掛けのプラセボを投与して、全員の「薬を飲んだから大丈夫」という思い込みの条件を統一しておく。

このような実験では、念には念を重ねて、実験者の知識や態度のちがいが被験者の心理に影響を与えることのないように、被験者に直接接する実験者にすら、実験の真の目的や、投与しているものが本物の薬なのかあるいはプラセボなのかを知らせないこともある。これを「二重盲検法」という。

念入りな操作の結果、「薬を飲んでいるから大丈夫」という思い込みが統一されている状態で、やはり本物の薬を投与された人の方が回復する度合いが高ければ、それは心理的なプラセボ効果ではなく、本当に薬の効果であると科学的に結論できる。

さて、手術の場合も、厳密に科学的に結論を出そうとすると、「手術を受けたから大丈夫」と思い込む心理的な条件を統一したうえで、実際に手術による治療を受けた人と受けなかった人との結果を比較することが必要になる。そのような場合に、心理的な条件を統一するために、治療を行なったかのように見せかけるシャム手術を行うことになる。

ところが、薬の場合には無害なプラセボを投与できるのとはちがって、手術の場合は、かならず人の身体を傷つけることになるために、問題が発生する。

先に紹介したコロンビア大学とコロラド大学のケースでも、研究チームは、厳密な比較をすることによって科学的に裏付けされた現代医学の治療法を確立する目的でシャム手術を行い、二重盲検法による術後ケアを行なった。しかし、それに対しての批判の声は、仮に患者からインフォームド・コンセントが得られたとしても、患者側に利益がなく危険だけが大きいシャム手術を行うことの是非を問うものだった。

たとえば、もしも手術による治療が行われて患者がよくなるのであれば、それが実際に治療の効果なのか、それともプラセボ効果にすぎないのかを、わざわざ患者を傷つけてまで比較実験をして確認しないでもよいのではないか、という考え方があるかもしれない。しかし、それでは、治療は科学的根拠にもとづくものではなくなり、現代医学というよりも、むしろ思い込みや暗示による宗教にちかいものになるといえるかもしれない。もっとも、医療の歴史は、ほとんどが信仰的な治療の歴史だったともいえる。また、現代でも治療がむずかしい病では、実際には、科学的な裏付けがあまりない試行錯誤の対症療法をせざるをえない場合が多いようにも見える。

論点はややちがうが、現在のアメリカでは、インフォームド・コンセント、すなわち医師による包括的な説明を理解したうえでの自発的な同意なしでは、臨床試験への参加は原則としてありえない。したがって患者達は、自分が50%の確率でシャム手術を受ける可能性があることを知っている。そのような場合に、手術の効果はどこまで正確に測定できるものだろうか。実際には効果があったとしても、もしかすると自分は治療を受けていないかもしれないと考えることによって、効果が現われにくくなるマイナスのプラセボ効果もあるという。それでもこの場合、半信半疑の心理的な状態も全員に統一されているために、問題はまったくないということになるのだろうか。

2001年3月8日付けで掲載された論文によると、コロンビア大学とコロラド大学の臨床試験では、治療をともなう本物の手術を受けたグループとシャム手術を受けたグループとを比較した結果、患者が60歳以下の場合は移植による若干の効果が見られたが、60才よりも年齢の高い患者では有意な差は見られなかった。また、移植を受けた患者のうち数名に、手術後二年目以降に激しい運動障害などが再発し、症状は薬の投与量の調節によって軽減することはできなかった [1] 。

この結果について、マスコミの反応は厳しく、臨床試験は動物実験の段階にさしもどすべきだとする論調もある [2] 。それにたいして、研究チームの論文を掲載したニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディスン誌の論説では、実験の意義を説明し、研究を支持している [3] 。昨年、2000年6月のネイチャー・ニューロサイエンス誌に掲載された一般的な解説記事では、パーキンソン病ではプラセボ効果が現われることがしばしばあり、シャム手術による効果の判定が重要だと述べたうえで、コロンビア大学とコロラド大学の共同チームが1999年に発表した同じ実験を取り上げ、パーキンソン病に対する移植について、プラセボ効果を考慮した科学的な検証ができる初めての臨床試験として評価している [4] 。

現代医学では、科学に裏付けされた治療法を確立するために、臨床試験の段階は避けて通れず、厳密な結論を導くためにはシャム手術が必要になることもある。一方で、シャム手術は、「患者を傷つけることなかれ」という古代ギリシャのヒポクラテス以来の医療倫理の伝統に反するように見える。それは、現代西洋医学における最大のジレンマではないだろうか。

参考文献など:
1. C.R. Freed et al. (2001) Transplantation of embryonic dopamine neurons for severe Parkinson's Disease, NEJM 344:710-719
2. BBC news Tuesday, 13 March, 2001: Parkinson's trial 'worsens symptoms'
3. Editorial (2001) Cell therapy for Parkinson's Disease, NEJM 344:763-765
4. Commentary (2000) Cell replacement therapies for central nervous system disorders, Nature neuroscience 3(6):537-544
李啓充 『アメリカ医療の光と影』 医学書院
デイヴィッド・ロスマン 『医療倫理の夜明け』 晶文社
グレゴリー・E・ペンス 『医療倫理』 みすず書房

20010424

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