ゼブラフィッシュの宇宙遊泳

ゼブラフィッシュの宇宙遊泳


ゼブラフィッシュは、宇宙遊泳の夢をみるだろうか。いつまでも、さかさまになって浮かんでいたり、ゆったりと螺旋を描いて泳いだりしながら。

ゼブラフィッシュは、体に黒い縞模様がある体長5センチくらいの熱帯魚で、胚が透明で成長してゆく様子が外からよく観察できることなどから、発生学の研究に使われる。最近、ゼブラフィッシュで、変異が起こると泳ぎ方が変わる行動の遺伝子が研究されている。泳ぎ方の変化には、同じ側に二回ずつ尾を振るものや、体をアコーディオンのように前後に縮めるものなど、いろいろある。そのなかに、らせん遊泳変異体とよばれる種類がある。遺伝子に変異を起こしてらせん遊泳変異体になったゼブラフィッシュは、活発に泳がずに、横向きやさかさまになって浮かんでいて、刺激をあたえると、バランスを保てずにらせんを描いて泳ぐという。

らせん遊泳変異体をもたらす遺伝子群の名前が面白く、nevermind, sputnik, mariner, orbiter, mercury, gemini, skylab, astronaut, cosmonaut と命名されている。 nevermind はともかく、他の名前は、1957年から1970年代にかけて展開された、米ソの宇宙開発ドラマに登場する名前である。宇宙が好きな研究者が、変異体ゼブラフィッシュがらせんを描いて泳ぐ様子から、宇宙遊泳を連想して命名したのだろうか。

らせん遊泳変異体のゼブラフィッシュは、体を傾けて浮かんだまま、ゆらめく水のなかから、人間の歴史に思いをはせる。

かつて、冷戦時代に、アメリカとソ連が国家の威信をかけて膨大な資金を投じたドラマがあった。

1957年、ソ連が世界ではじめて打ち上げに成功した人工衛星(オービター)のスプートニク1号は、球状の本体から後ろになびくように4本のアンテナが飛び出した、不思議な形のオブジェだった。打ち上げ後、最初の交信音が宙から聞こえてきたとき、ソ連は打ち上げ成功が意味することをすぐには認識しなかったらしい。当初、ソ連の新聞には、片隅に小さな記事が掲載されただけだった。西側諸国が、ソ連がアメリカ本土にいつでも核ミサイルを打ち込む技術を手にしたことを大々的に報道したのを見て、ソ連では、翌日になってあわてて大きな記事をうったという。一ヶ月後には、犬のライカを乗せたスプートニク2号が上がり、宇宙開発時代が本格的にはじまった。

宇宙技術でソ連に先を越された危機感をもったアメリカは、1958年にNASAを発足し、1961年にはケネディー大統領が、1960年代のうちに人類を月面に着陸させることを宣言した。

NASAは、人類の月面着陸めざして、着実な計画をたてて遂行していった。マーキュリー計画では人間が宇宙に滞在できるかどうかを調査した。ひきつづくジェミニ計画では、宇宙空間での作業、ドッキングや宇宙遊泳を練習した。練習がおわり、いよいよ人間を月に送り込む段階になると、アポロ計画に先立って、月に無人探査機のルナ・オービターを送り、月面の調査をしてアポロ宇宙船の着陸地点を探した。

NASAが地道に計画を遂行してゆく間、ソ連では対応するプロジェクトをたてて対抗した。アメリカがマーキュリー計画を進めていたころ、ソ連はヴォストーク宇宙船で27才のガガーリンを打ち上げて、世界初の有人宇宙飛行を達成した。

アメリカがジェミニ計画を行っていたころ、ジェミニ宇宙船が二人乗りだということを知ったソ連は、アメリカを出し抜くために、二人乗りのヴォスホート宇宙船から救命脱出装置を取り外し、三人乗りにして打ち上げた。そうして、ソ連はアメリカよりも先に、世界初の宇宙遊泳を行った。

ソ連にたびたび先を越されつつも、着実に計画を進めたアメリカは、1969年7月、ついに、ソ連よりも先に、世界初の人類月面着陸を達成した。降り立ってみると、大気のない月面は、きらきらひかる非常に細かい塵に一面に覆われた、まばゆいばかりの強いコントラストとモノトーンの世界だった。動きのない景色の上を、宙だけがすべってゆき、太陽の動きとともに形を変える影が、地上に表情を添える。吸い込まれそうな黒い空には、青い地球が浮かんでいる。

らせん遊泳変異体ゼブラフィッシュは、つつかれると、はっとしたようにらせんを描いて泳ぎ出す。泳ぎながら、ぐるりと回転する景色のなかで、歴史の続きを考える。

月着陸をめぐる一連のドラマが収束すると、ソ連はサリュート、アメリカはスカイラブという宇宙ステーションをそれぞれ打ち上げて、人間の宇宙空間での長期滞在の試みをはじめた。

スカイラブは、宇宙飛行士が数回滞在したのちしばらく無人となり、本来はスペースシャトルを使ってふたたび高度を上げてから、ひきつづき利用される計画だった。しかし、スペースシャトル計画が遅れたことと、大気の状態が変化して、空気抵抗が大きくなって失速したことのために、1979年に落下した。アメリカではその後、1980年代にレーガン政権が国際宇宙ステーション計画を発表し、西側諸国の共同建設を呼びかけた。このときに計画された宇宙ステーションは、やがて、フリーダムとよばれるようになり、さらにアルファへと名称を変えるが、実際に建設がはじまるのは、先の話になる。

一方、ソ連は、サリュートの技術を引き継いで、1986年に宇宙ステーションミールを打ち上げた。しかし、そのころからソ連は国内情勢が不安定になり、やがて、輝かしい宇宙開発の象徴ミールを宇宙に残したまま、国が崩壊した。

1993年、アメリカが中心となって計画を進めていた宇宙ステーションアルファに、ロシアが参加することになった。1994年には、宇宙ステーションの名称は国際宇宙ステーション(ISS)となり、翌年にはシャトル・ミールプログラムでアメリカの宇宙飛行士とソ連の宇宙飛行士が、宇宙空間での共同作業の練習をはじめた。そうして、練習プログラムがおわると、1998年から宇宙空間でのISSの建設がはじまった。

ISSは、西側諸国が設計していたアルファと、ロシア人がミールの後継として設計していたミール2とが合体した宇宙ステーションともいえる。ロシアのモジュールが取り付けられて、ISSが稼動しはじめた昨年、アメリカの関係者は、ISSのことをアルファと呼ぶと主張し、ロシアの関係者はミール2と呼ぶと主張した。なにはともあれ、ISSは、冷戦終結後まもない時代に、アメリカとロシアのぎこちない共同作業の過程で、いくつもの人間ドラマを生みながら、ともかくも稼動にこぎつけて、現在にいたっている。

今月の半ば、ロシアが誇ったミールが老朽化のために落下される。冷戦時代の名残の宇宙ステーションはなくなり、平和な時代に建設されたISSに世代交代する。また、一つのドラマがおわり、新しい歴史がはじまる。

ISSには、微小重力環境で生物の発生などを研究するための設備がある。そこには、ゼブラフィッシュ用の水槽もあるという。らせん遊泳変異体のゼブラフィッシュも、いつか、微少重力状態での行動の研究のために国際宇宙ステーションに運ばれて、知ってか知らずか、本当の宇宙遊泳をすることになるのかもしれない。


参考文献:
山元大輔(編) 『行動の分子生物学』 シュプリンガー・フェアラーク東京
的川泰宣 『月をめざした二人の科学者』 中公新書
Z.メドヴェジェフ 『ソ連における科学と政治』 みすず書房
マイケル・ライト、アンドルー・チェイキン 『フル・ムーン』 新潮社
ブライアン・バロウ 『ドラゴンフライ』 筑魔書房
井口洋夫(監修) 『宇宙環境利用のサイエンス』 裳華房

20010306

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