「白人vs黒人」&「アメリカで日本人が固まる事」について

 


 1ヶ月ほど前の事。

 友人3人(日本人と日系二世)と夜道を歩いていたら、なんか路上の酔っ払いが目の前で携帯電話に「パーティーの場所は、Parker通りの2323番だ」と、どっかの家の住所を大声でリピートしていた。で、この酔っ払い、僕らを見ると「おいお前等、タバコ分けてくれ」と言ってきたのだが、僕の友人の一人がタバコを一本あげながら「ふーん、Parker2323でパーティーな訳ね?」と聞き返して見た。すると酔っ払い、「おう!お前等パーティー行きたいか?こいよ!」と言う。と言ってもそいつはパーティーの主催者じゃないし、主催者の顔も知らないらしいから、どういう集まりなのかは知らないそうだ。でも、「まあ、ヒマだから行って見るか」と、僕らは実際に数時間後にその住所に行って見た。すると、本当にその家で飲み会が開かれていた。
 見知らぬ奴らも含め何十人もの若者が誰かの家に集まって飲んだり踊ったりするパーティーは、アメリカでは珍しくない。日本では、自分の家に大勢の人(それも、多数の赤の他人を含め)を入れて騒ぐというのはあんまり一般的じゃ無いと思うが、アメリカの若者の間では週末の夜の遊びとしては定番の一つなのだ。路上の酔っ払いの誘いで単なる通行人だった僕らが行ってもOKだったのも、ある意味、欧米文化特有のノリかも知れない。 

 さて、このパーティー、タダ酒飲みまくりで楽しかったのだが、ちょっとマジメなこぼれ話をいくつか。

(1.)
 その家の庭では、ビール片手に「反戦・反人種差別」をテーマにラップをしてる兄ちゃん達がいた。その一人は名門・スタンフォード大学に通っているという黒人だったのだが、僕らが彼と大学の話をしていると、彼は途中でポロリと「白人ばっかりの環境にはいたくないよな」と言った。その数時間後、パーティーに来ていた別の黒人が白人から金を騙し取ろうとして、返り討ちに合うというイザコザが有った。その際に、詐欺野郎の撃退を手伝った白人のオッサンは、僕や友人達にこう言った。「人種差別はしたくないけどな、マジな話、黒人は信用しちゃいけねえぜ。」
 現代のアメリカでは、数十年前までとは違い、白人と黒人の仲はそこそこ良い感じになって来ている。しかし、それでも時として、お互いに対する差別的なセリフを口にする事はある。特に、ジョークがてら黒人が白人の悪口を言うのは、日常茶飯事である。

 ただ、逆に白人が黒人の悪口を言う事は、絶対的タブーとされている。過去の差別の歴史への反省から、「黒人差別は許しがたい事」、「黒人を差別する者=人間失格」というようなイメージが、現代社会の常識になっているからだ。なので、僕にとっては上記の白人のオッサンの発言は、結構印象的だった。 オッサンは、おそらく詐欺男以外の一般的な黒人が聞いてる前だったら、「黒人は信用できない」等という発言はできなかったと思う。白人同士でいる時ですら、普通なら発言を聞いた白人から「あんたは人種差別主義者なのか」と軽蔑される可能性が高い。なので、この時の発言は酒が入っている状態だったからこそ言えた物で、シラフだったらまず出てこなかった言葉だと思う。酒の勢いで口が滑った、という感じである。しかし何にしろ、こういう発言が出てしまうというのは、黒人も白人もお互いへの不信感を現代でも多少なりとも抱いている、という事の一つの表れだと言える。

 

おそらく日本では、「アメリカの人種問題」と聞くと「白人が黒人を差別している」という構図を思い浮かべる人が多いだろう。アメリカ国内でも、「差別」に関する一般的な認識はこれである。しかし僕の場合は、20年以上白人や黒人を見て育って来た中で、「黒人の方がむしろ差別意識を強く持っているんじゃないか」と実は感じてきた。彼らが歴史的に白人による差別の被害を受けてきたのは事実だが、現代では白人によるあからさまな差別はかなり少なくなって来ている。決してゼロにはなっていないが、かと言って昔のような劣悪な状態でもない。しかし、黒人達自身の白人への反発心やコンプレックスは、明らかに強い気がする。白人が黒人に横暴な態度を見せる頻度よりも、黒人が白人に横暴な態度を見せる頻度の方が、実際には多い様に僕には映るのだ(少なくとも、僕が育ったサンフランシスコでは)。なので、現代でも白人が黒人を嫌う事があるのは、単純に白人が悪意を持って有色人種を蔑視しているからではなく、このパーティーに来てた白人のオッサンの様に、黒人の振る舞い(犯罪や暴力)を見て「こいつらは野蛮人だ」というイメージを持つから、というのが大きいのではないだろうか。

もちろん、全ての黒人が野蛮な訳ではないから、そういうイメージは偏見である。それに、仮にそのイメージが正しいとしても、黒人がそうなってしまったのは白人社会の中で虐げられて来た歴史が原因である事も、忘れてはならない。しかし、どちらにしろ、こうしたネガティブな偏見が生まれるのは、白人だけでなく黒人自身にも原因があるのだ。皮肉な事だが、それがある意味、世の中の複雑なところという奴だろう。「被害者」と「加害者」がいても、一概にどちらが正しくてどちらが悪いのか、という疑問には明確な答えは存在しない、という意味で。

それにしても面白い事にというか皮肉にというか、この夜最初に話した黒人兄ちゃんは僕ら(日本人と日系人)に、「お前等も有色人種だから、息苦しい白人社会は嫌だろう」といった共感を求めていたのだが、後に白人のオッサンもまったく同様に、「お前ら黄色人種たちも、排他的で自己中心的な黒人たちの言動には苦労するだろ?」と言いたげに見えた。両方とも、黄色人種の僕らは自分の味方をするだろうと思っている様に見えたのである。ただ僕は「自分らには関係ない事だ」という感じだったので、どちらの主張にも別に同調も反対もせず、かと言って説教ぽい事を言える立場でもないので、単に話を軽く聞き流していた。せっかく楽しく飲んでるんだから陰湿なムードは作りたくなかったし、さっさと別の話題に切り替えたかったのだ。
 

 ところで、白人と黒人の関係は日本人と韓国人の関係に似ている気がする。韓国人の中には、現代では日本に好意や興味を感じる人も多いが、過去に侵略され残虐な事をされた記憶が残っているから、日本人に対する不信感や敵意も心のどこかに持っている。その度合いは人それぞれだが、日本大好きな親日派もいるが強固な反日コンプレックスを持っている人もいる。そして日本人の中にも、韓国好きな人間もいれば韓国嫌いな人間もいる。その韓国人嫌いの日本人たちは、昔は単純に「朝鮮人は劣等人種だ」と感じて差別意識を持っていたのだろうが、現代の場合はそうではなく、「植民地支配は私達が生まれる前の時代の事なのに、韓国人はいまだに反日コンプレックスを引きずって、私たちに横暴な態度を取って来る。だから嫌だ」と感じるから、韓国嫌いになるのだろう。白人と黒人の関係も、根本的にはこれらと同じだと僕には見える。

 もし僕が黒人や韓国人の立場だったら、やはり屈辱的な扱いを受けた過去が有るから、おそらくセンシティブな民族感情や相手への反発心は心のどこかに抱いてしまうだろう。逆に、もし白人や純日本人の立場だったら、いまだにコンプレックスを持たれるのはウザイと感じるだろう。これは、どちらも人間心理としては仕方の無い事だと思う。

 もっとも、あの黒人兄ちゃんにしろ白人のオッサンにしろ、普段の生活の中ではいつも差別意識を剥き出しにしている訳ではないと思う。「白人達の空間は居心地悪い」という黒人兄ちゃんにも白人の友人の一人や二人はいるだろうし、「黒人は信用できない」と言う白人のオッサンも、その夜遭遇した黒人が詐欺師でなく普通にフレンドリーな奴だったら、普通に仲良く飲んでいただろう。現代の差別意識というのは、昔のような露骨で暴力的な物ではなくなって来ている。いつもお互いに敵対心を持っているというよりは、ふとした瞬間にポロリとネガティブな感情が出て来てしまう、という感じになって来ているのだ。まだ差別はゼロにはならないにしろ、少しずつとは言え良くなって来ているとは言える。なので、楽観的に言えば、こういう問題は時間が自然に解決してくれると思えば良いのではないだろうか。
 

 
 

(2.)

 この夜のパーティーに来ていた何十人もの人達は白人が80%で残りは黒人やアラブ人、そして僕ら日本人・日系人だったのだが、一人だけ白人と日本人のハーフの兄ちゃんも来ていた。

彼は日本で生まれたそうだが、高校生の頃にアメリカに来て、今年で在米5年目ぐらいらしい。外見はどう見ても普通のアメリカ人なのだが、英語も日本語もペラペラだった。で、この兄ちゃん、僕や友人たちとビール飲みつつ話しながら、「アメリカの日本人って、日本人同士で固まるじゃん。せっかくアメリカに住んでるのに、それってもったいなくない?」と言った。僕らは、自分達は大学で日本人会に入っているという事を数分前に彼に話したばかりだった。なので、僕は「こいつ、間接的に俺たちの批判をしてるのかな?」と思った。

 しかし、僕自身も実は、彼と同じ考えを持っていた時期が有った。現在は日本人会の代表者みたいな事をやっているものの、その会に入ったのは大学5年目になってからだった。以前も書いたが、僕は4年生の時に丸1年間日本に留学して、帰って来た後に「もっと日本人と交流を持とう」と決めて、日本人会に入る事にしたのだ。しかし、1年生や2年生の頃は、日本人の集まりに興味は持ちつつも「日本人会にしろ中国人会にしろ黒人会にしろ、同じ人種だけで固まって活動してるのは、ある意味閉鎖的な気がするな」という感情も抱いていたのだ。だから、当時は友人関係も日本人や日系人よりも他の人種が多かったし、日本留学を経験するまでは、「日本人の集まり」に入会しようとはしなかったのだ。

 僕は今では考えが変わっており、「マイノリティ(少数民族)の立場でアメリカに暮らしてる人種達には、同じバックグラウンドを持った人間同士で交流や情報交換をできる団体の存在も、必要なんだ」と考えている。そういう集まりに必要性を感じない在米日本人も多数いるのだが(このハーフの兄ちゃんの様に)、在米日本人同士のネットワークに入る事に魅力や興味を感じる人も、当然いるのだ。どちらのタイプの人の考え方も、別におかしい事では無い、と僕は今では思っている。人それぞれ、自分に合った方を選べばいい訳だから。

ただ、日本人同士のネットワークの中にいる事を選ぶ人の場合も、他の人種との付き合いも同時に持つ事はできるはずだ。なので、できるだけ幅広く付き合うのが一番だと思う(もちろん、これは言うのは簡単でも実践するのは難しい事なのだが)

(3.)
 という感じで、路上の酔っ払いの誘いでフラリと行って見たこのパーティーは、人種云々について考えさせられる発言を、たくさん聞いた一晩だった。まあ、こう書くと、随分と重苦しい夜だったかの様に思われるかも知れないが、実際はその場で過ごした時間の90%は明るく楽しい感じだった。あくまで、残りの10%ほどが、ちょっと印象深い出来事で、それについて後日改めて考えてみる事になった、という訳である。
 ちなみに、このパーティーは夜中の2時ぐらいにお開きになったのだが、それは酔っ払いの喧嘩(今度は白人同士)が始まりそうになったから、家主が「はい皆さん、お開きです」と言う事にしたからだった。飲み会が喧嘩で終わる事があるのは、日本もアメリカも一緒である。

執筆:2003年4月 

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